弥生時代 |
縄文時代の終わりごろ、北部九州の沿岸地方に稲作文化が朝鮮半島から伝えられました。コメ作りが本格化したことで、生活・文化のあらゆる部分が革新的に変化し、稲作を中心とした農耕社会が作られました。
また、金属器の登場は農作業の能率をアップさせる一方で、高い殺傷力を持つ武器としての機能も際立たせました。
そして、コメという富の蓄積は、争いを生むこととなり、戦いが始まります。中国の歴史書に『倭国大乱』と表現された時代、人々は戦いムラの統合を繰り返し、やがてクニが誕生します。その一つが女王卑弥呼の治める邪馬台国です。
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豊前市域の弥生時代 |
豊前市の弥生時代資料が増えてくるのは、約2,200年前ごろからです。鬼木四反田遺跡では、佐井川・岩岳川の両河川が集落を囲む大きな濠の役割を果たし、戦いの中での緊張感のある時代背景を知ることができます。 |
約1,900年前ごろになると、小石原泉遺跡にみられる大規模な集落跡や久路土日中遺跡の大型竪穴住居跡などの地域の中心となる集落の存在が確認できます。また、稲作の本格的な導入と相まって、金属器も出現します。鬼木四反田遺跡では、銅?や銅鏡、銅鏃、中広形銅戈などの青銅器が出土しています。 |
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